アンドレアス侯は、世界に通じる庭園を備える優雅なる邸宅の計画時に、有名なる画家、化粧漆喰専門家を国内外から集めました。
ヨハン ベルンハルト フィッシャー フォン エルラッハによる最初の構想に続き、1691年ドメニコ エジーディオ ロッシが1600年代の北イタリア邸宅様式にて、中央ホールを中心にする気品備わった“離宮”を建てました。アンドレアス侯御ひいきの建築家ドメニコ マルティネッリは、1692年以降ロッシの構想に上階を増し、さらに豪華な建築にいたしました。
18世紀から19世紀にかけてヨハン ヨーゼフ侯のもと、かつてのバロック様式の庭園宮殿は大改築され、ウィーン市内の宮殿や、ボヘミア、モラビアにあった絵画や彫刻がここロッサウに運ばれ一般公開されました。展示場にするため建築上の理由で、窓を絵画展示用の壁に変え、貴重なフレスコ画がつぶされました。
1938年第二次世界大戦の混沌とした時代、彼らの生活場所はヴァドゥーツにそして芸術品もそちらに移動しました。その後この宮殿は2000年まで近代美術館の別館として利用されていました。
リヒテンシュタイン侯による大々的な修復の後、プライベートコレクションの多くが再びここに戻って来ることにより、2004年リヒテンシュタイン美術館は再びオープンいたしました。

Palais Lichtenstein
1090 Wien